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by amor1028

★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】

【【(驚)画像+動画あり】】:中国の人肉食の歴史を調べてみた。、「人肉市場」「人肉宴会」「人肉レストラン」があるのは中国だけ。65年の文化大革命時も人肉食が白昼堂々・・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:中国 人肉食, カニバリズム


★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_c0075492_235869.gif




★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_771062.jpg
中国人は
人肉を食べることを
楽しんできた!? 

2002.5.25
asyura

人を食べるという行為は想像しただけで気分が悪くなる。だが中国人社会の中ではそんな行為が常識を逸脱した怪奇なものとしては受けとられず、ひとつの文化になっていた。そんな彼らの常識を漢方薬に見いだすことができる。


★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_9205259.gif飢餓になると人は人肉を食べる

どの民族でもすさまじい飢餓状態になれば人を食べる。日本では藤吉郎(後の太閤秀吉)が城攻めした鳥取城内で人肉が食われた記録が残っている。籠城4ヶ月目ですさまじい共食いがおこなわれた。

とくに足軽以下は容赦なく屍肉を食い、死体をあさるために夜間柵のそばまで忍びよって味方の戦死者の足を引きずろうとするものも出、それが敵の哨兵に撃ち殺されるや、その男を他の味方が食ってしまおうとするありさまになった。(司馬りょう太郎の太閤記より)

さらに生きているものさえ殺され仲間に食われたという。だが文献として残されているものはこれが唯一のものだ。日本人は同一民族のせいか仲間同士でのいわゆるとも食いはきびしい飢餓の状況においてさえほとんどみられない。

欧米ではどうだろう。アンデスの山中に墜落した飛行機の乗員が死んだ乗員を食べて生還した話はあまりにも有名だが、それ以外で人肉を食べたという話を聞かない。もともと遊牧民族である彼らは屍に東洋人ほどの敬意を払わない。

ベトナム戦争では米軍の兵士が殺したベトコンの耳を切り取って集めて勲章にし、太平洋戦争ではアメリカの大統領が日本兵の骨で作ったペンを愛用していた。こんな野蛮な行動はしても欧米人には人肉を食べる習慣がない。多分、飢餓状態になれば人肉も食ペたと想像されるが、キリスト教の影響なのか古今の欧米の戦争でもそういったたぐいの話を聞かない。



★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_9205259.gif中国人は人肉を食べることを楽しんできた!?

だが中国人は違う。あきらかに人肉を食べることを楽しんできた。人肉食、人相食、夫食婦、婦食夫、易子而食(親がお互いに子供を交換して食べる)こういう記録が中国の史書の随所に見いだされる。あの春秋戦国の覇王桓公は子供の丸蒸しを料理として賞味した。宋代には人肉料理のメニューさえある。そのころ食肉用の人間は「両脚羊」と呼ばれていた。

1984年、台湾近郊で炭鉱事故がおこり、ただ一人生き残った炭坑夫は生き残るために人肉を食べた。 そして「息の切わた人間の肉はおいしくない。やはり生きている人間の肉はうまかった」と発言して大きなニュースになった。

人を食べたからではない。どれが美味しかったという点でだ。それについて台湾大学の教授が人肉と牛肉と豚肉のいずれが、より栄養価が高くうまいかを新聞紙上でコメントした。このことは如実に中国の社会常識として現在でも人肉は食用たりうることを物語っている。(封神演義  安能 務氏より)

つまり中国にとって人間を食べるという行為は飢餓をしのぐのためではなく、食文化の一つなのだ。



★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_9205259.gif 漢方では人体を薬として使う

こういった文化を持つ中国人にとって人体は賞味すべき料理の材料のみならず薬の材料でもある。胎盤を火であぶって乾燥させ粉末にして元気を出す薬として使う。これを紫河車(しかしゃ)という。また人間の毛髪を黒焼きにして血止めに使う。乱髪霜)と呼ぶ。これらの漢方薬は特殊な薬ではなく、普通 に使われる薬にすぎない。

中国人には目が悪ければ目を、肝臓が悪ければ肝臓を食べる習慣がある。同じ肝臓なら人間の肝臓がよい。だから文化大革命の混乱期には多くの人が殺され臓器が食ペられた。

臓器の取りだし方まで解説した本もある。肝臓を取り出すためにわざわざ人を解剖する必要はない。肋骨の下にナイフで切り込み入れ、屍の胸を足で蹴ると肝臓が飛び出るという。

こんな中国人の強烈な享楽的、現実的パワーには驚きを禁じえないが、この貪欲な好奇心が漢方薬を発展させる原動力になってきたこともまた間違いない。



★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_9205259.gif 私の経験

私の鍼の先生から聞いた話だ。先生が中国大陸を放浪したときのことだ。「猿の生け作り料理」に出くわした。丸い木のテーブルの真ん中に穴があいていてそこから猿の頭だけが出ている。

頭は動かぬ ように金属の棒でテーブルに固定され、頭蓋骨が眉毛の上から円周に切り取られて薄い膜をかぶった脳みそが露出している。

猿は麻酔でもかかっているかのようにぼんやりと目をあけている。この猿の脳みそをスプーンですくって食ペる。猿は自分の脳みそが食べられるのを見て涙を流すのがまた一興だという。先生は吐き気をもよおして、その場から慌てて立ち去った。







★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_711463.jpg
21世紀に
人肉料理文化のある
残酷民族は中国だけ 

中国虐殺史
 
飢饉や非常事態、異常者によるカニバリズム(食人)はどこの国でもある(日本で日本兵が仲間を生きるために食べる、もちろんあった)。 しかし、「人肉市場」「人肉宴会」「人肉料理法」「人肉レストラン」があるのは中国だけ。人肉を楽しんでいる思考の隣人。

中国の史書にたくさん残されている。自分の肉を親に食べさせるというような孝行話が多い。1965年くらいの文化大革命では、人肉食が白昼堂々と行われていた。

現在も、田舎では胎児のスープ(嬰児湯)が滋養強壮の為に食べられている。「レイプ・オブ・南京」で、アイリスチャンの書いた「日本兵が人肉餃子をつくる」という所が、自分の国の文化からきている嘘というのがわかる。 また、ネットで、韓国人らしき人物が、日本には食人があるという偽記事を流している噂があります。 どうみてもおかしい。



★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_9205259.gif人肉メニュー

★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_3154158.gif「臠」:生肉をスライスして食べる、刺し身。「凌遅刑」という刑で食べられた。

★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_3154158.gif「脯」:干物。刑罰として用いられることが多い。

★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_3154158.gif「羹」:肉鍋。

★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_3154158.gif「醢」:塩辛。干して麹を混ぜ上 等の酒に漬けて密封して100日で出来上がり。孔子の高弟、子路が醢にされた。

★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_3154158.gif「炙」:人肉のバーベキュー(『韓非子』より)。

★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_3154158.gif「変換文字なし」:乾し人肉

★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_3154158.gif「血饅頭」:饅頭に罪人の血を浸し、市民に販売した。1860年頃。北京西郊で罪人を処刑した時、刀手(首切り屋)はその斬り首より噴出する鮮血に饅頭(マントウ)を漬し、血饅頭と名つけて市民に販売した。「千八百六十五年の頃、北京西郊で罪人を処刑した時、刀手(首切り屋)はその斬り首より噴出する鮮血に饅頭(マントウ)を漬し、血饅頭と名つけて市民に販売したという。」(Peking and the Pekingese. Vol. II, pp. 243-244)これもまさに魯迅が『薬』で描くところの伝統的風習です。

★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_3154158.gif「塩屍」:人間の塩漬(『唐書』秦宗権伝より)

★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_3154158.gif「嬰児の水餃子」:正式名称は不明。嬰児の肉をミンチにした水餃子。

★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_3154158.gif
「嬰児のスープ」:
正式名称は不明。嬰児湯とも呼ばれる。2004年、遼寧省でのニュースで確認されている。



★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_9205259.gif人肉用語

「喫人」:チーレン。人食いの事

「両脚羊」:人間の肉という意味(二本足の羊)

「不羨羊」:若い女の肉(羊より美味い)

「和骨爛」:子供の肉(煮れば骨まで食べられる)

「想肉」:男の両腿と女の乳房。(懐かしの肉)あまりの旨さにまた食べたくなるから。

「易子而食」:(子を交換して食す)自分の子供を食ぺることだけは避けようと、近隣の子供と交換した。



★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_9205259.gif人肉歴史の一例

■紀元前1100年ごろ、殷の紂王が、伯邑考をスープにして、それを父にたべさせた。

■618年、朱粲は「酒を飲んだ後の人間の味は、ちょうど粕漬けの豚に似ている」 (『唐書』朱燦伝)

■882年、黄巣の乱で賊は人々を捕らえて食用にした。一日ごとに数千人をも食べてしまった。(『唐書』黄巣伝)

■902年、人肉市場では「市中人肉を売る、斤あたり百銭(文)。犬肉は五百銭」(『資治通鑑』唐紀)

■1126年、人肉市場では、一斗の米が数万銭、人肉は豚肉よりも安く、若い男の死体が一万五千銭で買えた。

■1587年に書かれた「本草綱目」という漢方薬の本に、「人」の項目が。骨、陰毛、精液、ふけ、大便、尿など。

■1644年、張献忠という盗賊が四川省を占領、3年間で四川省の人間はみんな食べられて全滅。

■四川大虐殺では人口600万だったのが1万8000人に。「殺人競争」

■1894年、殺人鬼アルバート・フィッシュの手紙「清の人肉市場では、ポンドあたり1~3ドル。12歳以下の子供たちは全て食べ物として売られていた。Cはそこで人肉を覚えた。」

■1965年、文化大革命、白昼堂々人肉宴会が行われ、生徒が教師を食べた。百余の死体が香港に漂流して有名になった。中国・広西省武宣県では文化大革命の間に、共産党の迫害によって死んだ人間は524人。その内、食われた者は百数十人。武宣県において食人行為を行った者は推定1万~2万人にのぼる。1968年7月1目、武宣県の桐嶺中学副校長・黄氏は、糾弾大会につるし上げられ殺された。学校の食堂や廊下、区役所の炊事場でや教員宿舎や女子学生宿舎で、人肉を煮たり焼いたりしての人肉料理の宴会が行われた。


★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_9205259.gif参考書

■食人宴席
■支那人の食人肉風習 桑原隲藏
■『中国の崩壊が始まった!』
■ブライアン・マリナー (平石律子訳)『カニバリズム 最後のタブー』(1993年、青弓社)
■K. R. Chong, Cannibalism in China
■『呪われた中国人』(カッパ.ブックス)
■「戦争の歴史 日本と中国」(黄文雄 WAC 2007年)
■魯迅『薬』





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中国のカニバリズム
wikipedia
 

中国でも、過去には飢饉や孝行、薬用、戦争、儀礼などでカニバリズムが行われたとされ、文献にも記されている。それぞれの意図については前項「社会的行為としてのカニバリズム 」も参照のこと。

古くは『韓非子』に「紂為肉圃、設炮烙、登糟丘、臨酒池、翼侯炙(あぶり肉)、鬼侯臘(干し肉)、梅伯醢(塩漬け肉)」という記述が見られる。この「醢(かい)」なる言葉は塩漬け全般を指す語でもあり、獣肉の料理を指すこともあれば、見せしめのために塩で防腐した遺体を指すこともあり、必ずしも人肉食を指さない。

黄文雄は食人の記録から、中国人は「人食い人種」であり、「食人文化は、中国四千年の歴史を貫く伝統」であるとし、また、孔子が人肉好きだったとする。

『子路が衛国の大夫である孔悝の荘園の行政官になっていたころ、衛国に父子の王位争いが起こった。子路はこのお家騒動にまきこまれて、殺された。子路の屍は細かく切りきざまれ、無惨にも《醢》にされた。それは使者によって孔子の食卓にまで届けられてきたのだ。以来、孔子は大好物の《醢》を食べるのをやめたそうだ。』(これは『礼記』、『東周列国志』、『荘子』にも記されている)



★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_9205259.gifなお『礼記』『荘子』の内容は以下の通りである。

檀弓上:孔子哭子路於中庭。有人吊者,而夫子拜之。既哭,進使者而問故。使者曰:“醢之矣。”遂命覆醢。

子以甘辭說子路而使從之,使子路去其危冠,解其長劍,而受教於子,天下皆曰‘孔丘能止暴禁非’。其卒之也,子路欲殺衛君而事不成,身菹於衛東門之上,是子教之不至也。


いずれも、子路が「醢」「菹」(いずれも漬け物の意味で、肉の塩漬けを指す)にされたという記述があり、『礼記』では最後に家にあった「醢」を捨てさせたとある。「醢」は「人間を塩漬けにする刑罰」という意味も持つが、孔子の家にあった「醢」は「塩漬けの肉」を指し、これが何の肉から作られたかについて説明されていない。

『東周列国志』には、衛国の使者が「夫子を敬慕して、大胆に珍味を捧げます」と人肉を食べさせようとする記述があるが、これは明末に馮夢竜が著した歴史小説であり、史実ではない。



★((驚愕)) 中国の人肉食の歴史 【まとめ】_a0028694_9205259.gifこの他、『孔子家語』にも同じ逸話がある。

子路與子羔仕於衞。衞有蒯聵之難。孔子在魯聞之、曰、柴也其來。由也死矣。既而衛使至。曰、子路死焉。夫子哭之於中庭。有人弔者、而夫子拜之。已哭。進使者而問故。使者曰、醢之矣。遂令左右皆覆醢。曰、吾何忍食此。

明治書院版『孔子家語』の訳者宇野精一は「衛の人が子路の遺体を塩漬けにしたのは、単に刑罰として行ったのではなく、おそらくその肉を食ったのだろう。それは勇者の肉を食うことに意味があったのだと考えられる」と推測している。


『史記』にも、飢饉や戦争により食料がなくなると、自分の子を食うに忍びなく、他人の子供と交換したのち絞め殺して食べたという記述が残っている。

三国時代にも人肉食が見られ、三国志 (歴史書)14巻『魏書 程郭董劉蔣劉傳』の程昱伝に引用された『世語』(『魏晋世語』)逸文に「世語曰 初 太祖乏食 昱略其本縣 供三日糧 頗雜以人脯 由是失朝望 故位不至公」と、略奪した糧食に人肉が含まれていたために程昱が出世を逃したという記述がみられる。これらの記述は、当時人肉食がタブー視されていたことも示している(『演義』については後述)。

しかし唐代以降は人肉食へのハードルが下がったという議論があり、例として引かれるのは『資治通鑑』の人肉の市場価格が二十年で数十分の一に暴落した記録である。 また自らの肉を病気の夫などに食べさせることが美談として称賛され、元代の『事林廣記』には、その行いに政府が絹や羊や田を与えて報いたという記述がある。

明の時代の李時珍による『本草綱目』人部]には、人肉をはじめ人間由来の漢方薬が記されている。特に宮廷を中心として、女人の血から作った薬(仙丹)が強壮剤としてもてはやされた。不妊で悩む世宗の代には、宮女に投薬してまで出血を強要したため、多くが衰弱死したという。 民間では、同時代の『南村輟耕録』に、戦場での人肉食の実例と調理法が多岐に渡って紹介されている。この食事方式を採用した隊では戦果が食事に直結するため、大いに士気が高揚したという。

清の時代にも依然として人肉食が残っていた。宮廷でもしばしば人肉食が行われ、高官が赤ん坊の肉を好んで調理させた逸話が伝わる。著名人では、西太后が病の東太后の歓心を買うため肘肉を羹に供したという(左の肘に包帯を巻いた上での自己申告であり、真偽は不)。

また、古来より凌遅刑(千刀万剐)という全身を切り刻む処刑方法が存在したが、刑場近辺で死刑囚の肉片が食用ないし薬用に供されていた記録があり、廃止された1905年には北京で撮影が行われている。なお著名人が同処刑後に食された事例では、明朝の劉瑾・袁崇煥のものが挙げられる。ただし劉は酷吏、袁は名将であり、食の意図は異なるものと思われる(差異は前項参照)。

小説にも人肉食に関する記述は多い。中国四大奇書のひとつである『西遊記』には妖仙ばかりか猪八戒も人肉を食らおうとする記述があり、『水滸伝』に至っては全編にわたって山賊(百八星含む)による人肉食が描かれる。『三国志演義』には「劉備が曹操に追われてある家に匿われた時に、その家の主人が劉備に献上する食料がなく妻を殺害し、その妻の肉を劉備に献上しそれに感動した劉備はその後その家の主人を高官にした。」との記述があり、吉川英治も自訳の該当箇所で中国の食人文化について触れている。ただし、こういった小説(いずれも宋代以降)の記述を人肉食の証左とできるかは疑問が残る。

近代では、文化大革命時にも粛清という名目で人肉食が広西等で白昼堂々と行われていたという報告がある。

なお現在の中国では食人はタブーとされており、違法である。堕胎された胎児などを食べる文化が現存するとの指摘もあるが、トリック写真やパフォーマンスの一部だと判明した事例も多い。香港やマカオでもしばしば食人事件が噂され、盛んに作品に翻案された。香港映画『八仙飯店之人肉饅頭』はその一例である(実際の八仙飯店殺人事件では、被害者十名の胴体が発見できなかったに留まり、人肉食は立証されていない)。 また2008年には香港でもこの映画を思わせる事件が発生した。少女を殺害し、遺体を切り刻み肉と内臓をミンチ機で細切りにしトイレに破棄し、手足の骨は肉屋の店頭に並べたという。(王嘉梅さん殺人事件)










このバッグの中には、600ページにのぼる原稿が入っている。中国共産党当局が絶対、発売禁止にする事実を記録したものだ。われわれはついに中国大陸から脱出に成功したのだ。これからは、この凄惨な事実を語ろうと思う。

この原稿はどんな読者も驚かせるに違いない。著者の私自身でさえ、執筆中、何度となく身震いして、ペンを握ったまま涙をおさえられなかった。しかし、過去の血塗られた行為は、決して私を麻痺させてはいない。

私は身震いし、わが民族のための懺悔録を執筆しているのだ、と言い聞かせた。もちろん自分が危険を冒していることも自覚している。中国共産党当局者は、いっそう私に対する迫害を強めるだろう。

それだけでなく、まったく悪意のない多くの同胞にも、私が「臭いものに蓋」という因習を守らなかったということで、中国人が軽蔑されることになった、と責めるだろう。

(当局者は事実上、すでに数度にわたって、この原稿のための取材ノートや資料を強奪しようとした。しかも、そのうえ妻を逮捕し最近の私の著作動向について尋問し続けた。)

だが、決意というものはそれほど難しくはない。私の義憤は、ある資料室の奥深くに綴じ込まれていた残虐行為報告によって生じると、もう地獄に落とされる恐怖をも乗り越えることになった。以上

「食人宴席」抹殺された中国現代史 まえがきより抜粋 (鄭羲 黄文雄訳 光文社カッパブックス 1993)






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by amor1028 | 2011-07-30 09:44 | 中国 トリビア 情報